100年後からのありがとうをもらえる社会を全員で作りたい

100年後からのありがとうをもらえる社会を全員で作りたい
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"限りある人生を丁寧に生きる" 津田

ゆめのちからの発案者として、日々、実践と研鑚に励んでいる。ゆめは「子どもの幸福度を世界一にすること」。丁寧な毎日を送ることを大切にしている。

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挑戦者を応援したいという明確なビジョンをもち自身も挑戦者としてオンラインサロンを運営しながらも格闘家として活躍をされていらっしゃる安彦選手。今回は安彦考真さんにゆめをテーマにお話を聞かせていただきました。

安彦考真さんプロフィール
幼少期からサッカーに親しみ、プロになるために高校生の時に新聞配達でお金をためブラジルへサッカー留学。ブラジルではグレミオ・マリンガと契約を果たすもリーグ開幕直前の怪我により帰国。帰国後日本サッカーのレベルの高さに萎縮してしまい、ゆめであるサッカー選手を断念。その後、コーチやスクールで成功を収める。しかし、スクールの高校生がクラウファンディングに挑戦したという出来事に全ての仕事を捨て、自身も諦めていたゆめに向けて挑戦することを決意。見事ゆめを実現さ背、2018年にはジーコの持っていたJリーグ最年長初出場記録を上回る記録で初出場を果たす。引退後はオンラインサロンを運営しつつ格闘家としてRIZIN出場を目指す挑戦者としての人生を歩む。
著書に「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」がある。

ゆめとは手に届きそうで届かない場所にあるもの

Qこれからのことを含めて安彦さんのゆめを聞かせてもらえますか?

近いものから遠いものまであると思うんですけれども。ゆめっていうものが単純に憧れではなくて現実的に自分がその場にいたいというか手に入れたいというもので考えると、それは手に届きそうで届かないという立ち位置をとれるかどうかってすごく大事だと思うんですよ。例えばバルセロナでプレイしたいっていうサッカー選手がいたときに本当に手に届きそうで届かない距離って思って言っているのか、それともいわゆる寝ている中での夢のような憧れの舞台を言っているのかそれによってゆめの叶え方って大きく変わってくるなと思うんです。大人にとってのゆめは届きそうで届かない所にあるっていうのが常にゆめのベースとなっているないといけない。というか、そうでないと僕はただ夢物語になってしまう。基本的には手に届きそうで届かないって思えるのが大事です。今回格闘家と言ったのも自分が思ったこと。要するにイメージできるものしか人は思いつかないと言われるくらいそのやりたいって思うことって限られている。自分の本能の中に残っているものがあるので。僕はもう一回人生の挑戦者として他を選ぶことも可能でしたし、いくつか手段として選ぶことも可能だったんです。1年目でバイクやって二年目で水泳、三年目でマラソンをやってトライアスロンということも可能でしたし、もう一つは親友がエベレストで登っていったようなエベレスト登頂というものも候補としてはありましたけれどもどうも僕の中でイメージができなかったんですね。自分自身がやっているイメージが。やってみたいことではあるけれども手に届きそうで届かない距離ではない。明らかに少し違う次元の話になっているというのが僕の中であった。僕は格闘というものが好きだったしリングに立っているというのが僕の中でイメージできたのでイメージできるのならやってみよう。しかも、自分にとって過酷なもので世の中から見たときにわかりやすい戦いの場。僕は社会に戦いたいというのもあって。僕の中で一番大きいのはゆめを馬鹿にされて一生懸命な人が馬鹿にされて停滞感や閉塞感のある世の中をぶち壊したいという思いがあるんです。コロナも相まって余計に人の足を引っ張ってとにかく余計なことをするな、みんなで仲良く静かにしていようぜみたいなそういう世の中を壊していかないといけないと思うんです。僕ひとりだけならそれで黙ってていいかもしれないですが自分たちの子どもの代とか孫の代とかそういう子達が何も戦うことができない世の中になってしまうのは避けたいですね。生きているうちに責任が取れるうちはいいけど自分がなくなってから責任が取れないような社会にしたくないなと。その時のことも想像した上で挑戦者が戦い易い場を作りたい。そのためには自分が開拓していける道があるはずだということで一つの手段として格闘家を選んだということです。だから僕の中であるのは『100年後からのありがとう』といったのもが一つの壮大なテーマなんです。『100年後からありがとう』をもらうためにどうしたらいいのかということ。そのためには目の前のことからまずやるし、自分が旗を振った挑戦者でなければならない。ということで格闘技を選んだというのが一番の理由ですし、イメージができたんですよね僕の中で。だからそういったところが僕が思い描くゆめのひとつでもありますね。

夢を馬鹿にする人とされる人。両方の立場から言えること

Q安彦さんの人生そのものが挑戦していくだとかそういった人たちを応援していきたいというような生き方をされていらっしゃるなと感じたのですが、安彦さんがゆめを追う人が馬鹿にされるような状態をぶち壊していきたいと思われるようになったきっかけというのはあるのですか?

実際に言うと二つあります。一つはどこか僕もドリームキラー化してしまったというかよく言うドリームキラーという立ち位置に僕もよくよく考えたらなっていたということがある。ゆめを応援できないというか、直接誰かのゆめを馬鹿にしたりというのは一切していないんですけど頑張っている人の逆張りをしてどこかで自分の正当性を訴えるみたいなことをちょこちょこやってたなと。例えばJリーガになっていないときはJリーガーのことをちょこちょこ言ってみたりとか諦めたくせにJ3はJリーガーじゃないみたいなことを言ってみたりとか。なんかどこかで自分がやってもいないのに、要するに諦めたゆめに対してこれは俺の中でこういう理由があったんだよみたいな。若干どこかで馬鹿にするということじゃないですが逆張りをすることで自分が諦めたことを正当化するということがあったと思います。もう一つは実際にその立場から目指すということになった時に多くの誹謗中傷があったわけですよ。ぼくがJリーガーを目指すとなって多くの人が離れていったり、お前馬鹿じゃないの?って言ったりね。まあその気持ちもわかったんです。だから馬鹿にしていたから後になってホイホイついてきても俺は受け入れないよっていう気持ちはないんです。僕もその時の馬鹿にした気持ちもわかる。今になってゆめが実現したんで馬鹿にもできないっていう。実際に僕が体験をした中で感じたことはある。でも実際にゆめを諦めてしまうようなそういう風潮、人の足を引っ張って幸せの平均点を下げるっていうようなやりかたをして欲しくないし、人のゆめはひとそれぞれであって誰かに強制されるものでも誰かと比べるものでもないと。であれば頑張っている人が馬鹿にされてその人が諦めてしまうような残念な世の中にしてはいけないなっていうのは当事者になったこともあるし被害者になったこともあるその両方を経験した立場だからこそ思いますね。

Q両方の立場から経験したことがあるということで安彦さんが言っているような一次情報として伝えることができるということですかね。

そうですね。本やどこかで耳にしたことではなく実際に自分がその立場に立って体験したという一次情報として両方を伝えることができるので、両方経験している。頑張っている人を逆張りしてちょっといいように言ってみる自分と挑戦する立場に立っていろいろ言われる自分と両方がいる。それは僕がいじめの運動をしているのも、僕がいじめる立場だった時もあるしいじめられる立場だったこともあるので一次情報として手に入れることができたからこそ言うことができることがあるみたいな部分はあります。双方の正義がわからないと人は一方的な立場からだけだと苦しむだけなので。だから両方経験したから言えることがあるっていうのは僕にとっては大事です。

誰も自分自身を誤魔化すことはできない

Qもし安彦さんが過去の逆張りしてしまっていた自分に対して何か言いたいことは、今の立場からしてありますか?

結局自分で自分をごまかしているのがわかっているなら早く剥がしたほうがいいよ。もともと僕は自分に嘘をついてしまった人生を過ごしてしまっていて、やはり自分に嘘をついている人はどこかで、いわゆるどんな有能な詐欺師も自分だけは騙せないのでごまかしている自分に気づいている。気がついているなら早く素直になって嘘を脱ぎ捨てたほうがいい。後々脱げなくなるから。それはできるだけ早く脱がないと逆張りして人のゆめをなじりながら自分を正当化しているんだったらとっととやめて素直になること。どれだけ素直になることが大事かということを伝えていきたいかなというのがありますね。

Q後々脱げなくなるということをおっしゃったんですけれどもこれは安彦さんにとってどういった意味があるのですか?

ぼくみたいに一気にお金を捨てることで脱ぐみたいにしないといけなくなる。一枚一枚嘘の上塗りを脱がないと。一番大事なのは一番最初についた嘘を脱ぐことなので一番最初についた嘘を脱ぐためには一枚一枚はがしていかないといけないんですけど。一枚ずつはがしていく大変さは今の立ち位置にいながら自分のスタンスを変えなきゃいけないっていう厄介なやり方になるんですよね。あの人こういっているけど前と違うじゃんというようなものも出てくる。その今知り合った人たちは僕の今しか知らないけど、僕が一枚一枚脱ぎ始めると、昨日まで黒だって言ってたものを急に白にしないといけない。そうするとあいつはぶれた、ぶれてないの話になって、それをずっと繰り返さないと根っこまで行けなくなるんです。そうすると今度は今いる目の前の人にうそをついているように思われちゃうんですよ。そうすると今度は人格破壊みたいになるんで、一気に脱ぎ捨てたほうがいいんですけど一気に脱ぎ捨てるには、40でJリーガーになるっていうような大変さがあるので、早いうちにそこを脱ぎ捨てておいたほうが、後々重ね着しまくるといろんなところに整合性が取れなくなってきたりするんで自分の一番最初の一枚にたどり着くまでに。それを含めて考えたときにできるだけ早いほうがいいよということはありますね。

評価の軸を他人から自分へ

Q安彦さんのドリームキラーに対して自分に早く素直になれよというメッセージを生き方で示していらっしゃると思うのですが、安彦さんにとって「自分に素直になる」というのはどう言った事なのでしょうか

まあ一番はさっきも言いましたけどこれは答えじゃないけど自分にうそをつかないということが一つになります。結局それは虚勢を張ったり自分をよく見せようと思う所からはじまるので。でも自分をよく見せようというのは他人に評価をゆだねているんですね。要するに他人に評価をゆだねないような自分でなければならない。より素直になるというのは自分が自分の評価をしてあげなさいよということ。他者から見える自分を評価軸にしないで自分が自分の生きている道をどう思うかというものを評価軸にする。そうしたうえで、それが人の役に立っているのか、ニーズに合っているのかを考える。それを見ないと独りよがりになちゃうので、単なるわがままになってしまう可能性がある。だけど自分軸を持っておくということを大事にして、その軸が人の為や社会のために役に立つというものであれば僕はいいと思うんです。まず見る軸が他者から入るのから自分がぶれるし壊れるんですよね。自分から入って自分はこうなりたい、こういう世の中にしたい、僕はこんなことをやりたいことが、他人に何か影響を与えたり社会に貢献出来たりできていればそれを貫けばいいと思うんです。それが全く棒にも箸にも触れないようなことであれば変化すればいい。求められるものは時代とともに変わるということがあるので、それは冷静に分析する必要はあるんですけれども。まず自分に嘘をつかないということと評価軸を自分にするということ、自分の中に持ちなさいよということですかね。

自分の内なる声に耳を傾けてみる

Q評価軸を自分の中に持つというのが面白いですね。どうしても自分をよく見せたいだとか舐められちゃいけないだとかそういったものが出てきてしまう人も多いかと思うのですが、自分の評価軸で自分の信念を持っていくとなったときに何か気を付けていらっしゃることはありますか。

一番はその信念を見つけ出すということが大事で、これを持っていない人が多いと思うんですよ。信念というものがどこから出てくるかというと「内なる声」からしか出てこない。では「内なる声」はどうやって出てくるかというと自問自答の世界ですよね。要するに正解を持っているのは自分である。正解を持っているというか探さなければならない。自分らは常に先生や部活の指導者とかお父さん、お母さんとか誰かが正解を持っている社会に生きてしまっているので、自分のアイデンティティを見つけ出すことができてないんですよね。僕はそれが分かりやすかった。海外に行くことができたときに初めて自分のアイデンティティが分かった。つまり、日本人を知ることができた。そのうえで冷静になったときに日本人はブラジルに行くことを馬鹿にした理由がよくわからなかった。ブラジルの人は何でわざわざ金持ちのやつが来るんだという、経済的な生活理由で僕の夢に対して論をつきつけてきた。でも、日本ではなんでなにも理由がないのに夢を馬鹿にするんだろうって思ったときに、なんか僕の中で矛盾が生じたんですよ。そのブラジル人が僕の夢を否定する理由はわかる。自分のポジションとられたら生活ができなくなる。だけど日本人の場合はそんなことはないのに、なんで僕がブラジルに行くのを馬鹿にされたんだろうっていろいろ考える時期があったんです。でそういう自問自答を繰り返していく中で日本人の特性だったり自分の信念だったり、自分が何を考えてなんでブラジルに行きたいと思ったのかとか。でもゆくゆく行きついたことは生きたいように生きることができないという文化があるんだなと。他者との関わりの中、交わりの中で生きたいように生きれないことがすごく多い。それは、妬みとか嫉妬とか。でもよくよく考えたらみんな我慢している。本当はやりたいんだけどいろんなことを我慢して、我慢を強いられている人が多いんだということが分かったんです。そうすると我慢というのは何があるかっていうと他者の目からくる自分の我慢。この考えがおかしい。我慢をしないためにどうしたらいいかというと『信念を大事にする』というのが最終的に僕が行きついた答えでもあります。自分で自問自答を繰り返して自分が何のために生きているのかを考えることが大事。我慢ということで見えなくなってしまった『自分らしさ』みたいなものを掘り起こすためにはもう自問自答しかない。一番いいのは、とにかく海外に行くことじゃないですかね。日本人は自分を知らない場所に行ってみるといい。別に場所はどこでもいいんですけど日本人って大体一緒のところに行きたがる。自分で調べて実際に見に行くほうがいいですよ。僕はそういう理由で海外留学を進めるんです。でも語学留学って決めちゃうと結構もったいないと思う。もっと人生留学的な、その人生留学の一つに語学留学をやるとか、人生留学の一つにサッカーをやるとかっていうくらいの観点で海外に行くのはありだなと思います。

日本人が失ってしまったアイデンティティ

Q安彦さんが海外に行かれて実際に自分のことだとか日本人のことを考えるようなった出来事はありますか

一つはパレスチナに行ったときに、それは30手前だと思うんですけど。それくらいにパレスチナに行ったときに、壁にですね、目隠しをされた少女の絵が描かれていて、「この絵はどういうこと?」って聞いたら、14歳の少女が描いたと。14歳の少女が自画像を描いたらしいんですよ。要するに自分の絵を描いて、「なんで目隠しをしているの?」と聞いたらパレスチナはお先真っ暗だ。要するに、私は何も未来が見えていないということですごい象徴的な絵を描いたことを今でも覚えているんです。で、そういう子たちがたくさんいる中に、日本ってなんかこう私はすごいと思います、尊敬していますといわれたんです。第三国の私たちから見ていてアメリカに負けた日本はアメリカのことを受け入れている。戦争に負けたけどアメリカを受け入れている。でも私たちは自爆テロでしか解決策が見つかっていない。そんな日本人を私たちは尊敬しますといわれたときに、答えられなかったんですよ。なんでアメリカを受け入れられるんですかと言われたときに。止まっちゃったんですよ。なんか俺受け入れたきねーな、もともとそうだったな。もっともっと僕は日本のことを知らなきゃいけなかったのに、なんか過去のものとして放置してきたなと思って。おじいちゃんおばあちゃんに話を聞いたというのもあったけど、いかんせん受け入れられるような内容はなかったぞと考えたときにまだまだ足りないなと日本人のアイデンティティってと思ったんです。戦争に負けた瞬間に失っちゃってて、あれ以来掘り起こせてもいない人が多いんじゃないかなと。言われるがまま僕らは育ってきたし、言われるがまま国が米軍があるのもあまり否定しないし不思議に思っていないと。でも考えたら植民地になっている国は全部英語圏になっているのに何で俺らは日本語を喋れてるんだろうとか。要するにアメリカに植民地になったのではなく連合軍に負けたのでいろんなものを取られたんだろうなと土地とかをアメリカに取られて、そのメディアとか教育を社会主義国に取られて、いろんなものを取られているから、日本人っていうアイデンティティがなくなっちゃってるんですよね。食もアメリカに持っていかれちゃっていると考えたときにもっともっと勉強しなきゃいけない。勉強というのは歴史もそうだけど、なぜその時に日本はそういう風に判断したのかとか、それを踏まえて僕はどう思っているのかとか自分の感性を知ったほうがいい。要するに世界観をもっと磨くということをやったほうがいいと僕は思ったのがパレスチナのその出来事です。

自分の世界観を表現する

Q安彦さん自身がすごく自分の生き方や物語を大事にされて姿で見せていらっしゃるというのを感じるのですが、やはりこの世界観というものにもつながっているのでしょうか?

そうですね。自分の表現したい世界観っていったいどういうものなんだろうというのを、アーティストの人は考えると思うんですけれども、その歌とか絵とかそういうもので表現したりするときに世界観が出やすいじゃないですか。でも僕らアスリートはあんまり世界観が出にくいというか、普通に生きていてもあんまりないと思うんですけど、その世界観って結構表現方法の一つなんで、そもそも自分がどういう人間かを分かっていないとそもそも出るはずがなくって。そういう意味で言えば真っ白いキャンバスに真っ黒な絵を描く人ってどういう感性なんだろうなって思うことも多々あるわけですよね。その時に自分が何をそこに描けるかっていうと絵の技術を考えちゃう。世界観で描こうとしないんですよね。その遠近法だとかなんだってすぐスキルのほうに行っちゃう。うまい下手があるから。でもそれって誰かに教えてもらった事であって、白いキャンパスに好き勝手書いていいということは誰かに教えてもらったことではないので世界観とかアイデンティティとかみんな自分の中にあるものだからみんなスキルをやろうとするけど歌だって自分が歌いたい歌を歌えばいいわけででもそれを歌わないのはやっぱり評価を気にしているからだと思うんですよね。ていうところを考えたときに世界観ってすごい大事。そりゃうまい下手の話じゃないんですよ。表現なんですよ。そこは大事にしたいなと思います。

Q今、安彦さんの話を聞いていて安彦さんの生き方自体がアートといいますか、一つの世界観をもって動いていらっしゃるんだなというのがすごく伝わってきますね。

それはうれしいですね。やっぱりアスリートならぬアーティストになりたいというのがあったんで。生き方で表現したかったんですよね。何かを描けるわけではないんで。生き方としてアーティストだねと。それは表現者として世界観を色濃く出したいし、あいつにしか出せない生き方だよねというのが僕が一番出したいところでもあるので。そう言ってもらえると嬉しいですね。

Q今の日本の社会というのは肩書きだとか、どういった職業に就くというものばかりに目が行きがちだと思います。安彦さんが言うように、その人が何をしていきたいかを考えたときに世界観がすごく大事になってくるんだなと感じます。

何になりたいっていうのが強すぎる。何になりたいというのがすごく資格的な感じ、技術的に学んでやらないといけない、「何になりたい」っていうのと、「どう在りたいか」の違いをもっともっと明確にしていく必要がある。人としてどう在りたいかという部分を磨かない限り、いくらどうなりたいというスキルを磨いたところで、やっぱり自分が可視化されない。もちろん、どうなりたい、画家になりたいというときに絵を無視するわけにはいかないんですよね。徹底的に絵のクオリティは上げないといけないんだけどそこにどう在りたいかという人物像が可視化されない限り、それはうまい絵であって世界観の掛け算にはならない。いくら世界観を表現したいといっても絵のクオリティがなければそれは今度人に見てもらうために届かないので。要は両方必要なんですけどもっともっとどう有りたいかというのを考えて表現していかないといけないと思うんですよね。

子ども達に未来を想像して関わる

Qやはりなにになりたいかどう見られたいかが先行してしまっているなと思います。これは教育でも同じでどこまで出来たかが評価としてつく側面が強い分そういったどうありたいかに意識が向きづらいのかなと感じています。どうでしょうか。安彦さんは子ども達と関わる仕事もされていらっしゃったのでそのあたりについても質問させてください。子どもたちに対してどういったことを伝えていきたいですか。

一個や二個ではないので難しいですが、僕らが考えなければならないことは、子どもたちに「今この瞬間」を頑張ることと「今だけ」を頑張ることは全く違うじゃないですか。今だけを頑張ることを教えちゃいけないと思うんで今この瞬間に輝かせることは必要なんだけど今だけをがんばることじゃないと。どういうことかというと彼らが社会に出るまでにどんな社会になっているかを想像しないといけないわけですよ。例えば小学校6年生だったら社会に出るまでに中卒でも出れるんで3年間、まあだいたい日本の場合は高校だとか大学に行くことが多いので5年から10年のスパンの中で社会がどういう変化をしたか今の彼らに伝えなきゃいけないことがある。要するに今僕らが生きている社会の中にいきなり彼らは飛び込んでこないので、今の社会を想像してみんな喋っちゃうんですけど、もっと次の社会を想像してしゃべんないと彼らの頭の中に入らないんですよ。その想像力が大半の大人に欠如していると思うんですよ。だからまずはそこを想像することが大事でそうなってくるとどうなるかというと確実に答えのない社会がやってきて、どれが正解かどうかわからない。もしくは、正解が溢れすぎていて結局何をやってもみんなが同じレールの上を走ってるから飽和状態になる。だから他者に正解を求めている時代は終わりだと思うんですよ。だからトラブルを解決する能力が必要になってくる。何が起こる変わらかないから。もともと社会はそういうものですが。そうすると、いかにして学校内でトラブルを起こせる環境を作ってあげるかどうか。トラブルが起こったときにどうやって解決していけばいいんだろうということに時間をかけられるかどうか。時間の単位を学校という50分単位のものではなくて下手すりゃそれを一週間、三週間、一年をかけて解決するような時間割がどこかにないと。道徳が一回で終わりではなく三ヶ月とか四ヶ月とか大きな周期で物事を解決していくという時間が必要。子どもたちには答えのない社会で生き抜くためにトラブルやアクシデントを解決する、目の前のことから目をそらさないということが大事ということを伝えたい。誰も答えは持っていない。自分の中で生み出す能力がまず必要かなと思っています。

Q想像力がなかなか持てない子どもが多いという話が最近話題になっています。先ほどの自問自答するという力につながると思うのですが、こういったところについては安彦さんはどう思いますか。

僕はどっちかというと想像力がないのは大人の方だと思うんですよ。今、大人が想像力がなくなって、その想像力がない目線で子どもをみるから想像力がないなと思っているだけで、大人が子どもの想像力に気づいていないだけ。じゃあどうしたらいいかというと、ほっといてあげることですよ。僕らがいろんな網目をはるからそれをなぞろうとしてうまくいかないのであって、大事なのは僕らがもっともっと想像力豊かに見ていかないといけない。大人が想像力を狭めてしまって未来を創造できていないから子どもそんなもんだろうと、それは単純に経験量、知識量だけで子どもたちを判断している。想像力で判断していないんですよ。想像力を見る力がない。そこが僕は結構問題なんじゃないかなという気がしています。

Q大人たちのレールの中でのこうしてほしいという部分でしか見ていないというのはすごく納得できます。安彦さんのカラーコーンエピソードじゃないですけれども放っておいたら子どもたちってすごいいろんなことを考えて解決策を見つけ出していくなと思います。こんなに考えることができるんだって。逆にこうしなさいだとか、こうあるべきと言った瞬間に一気にやる気をなくしてしまう。そういうものなんだろうなと思います。

本当にそう思うので僕らの持っている正解の中に当てはめようとするから想像力がないとなってしまう。想像力を爆発させる場所はどこなのかを見てあげること。それともう一個言えるのは、同時に僕らの指導がすごく肌感覚になってしまっているので、メソッドとしてこういうことをこういうふうに乗り越えていくといいよというものをちゃんと理屈で揃えられていない気がします。子どもの頃はこういうことは我慢させたほうがいいよだとか根性が必要だとか苦労はさせたほうがいいとふわっとした内容で成長を促すじゃないですか。でもそれって理屈ではなくて肌感覚じゃないですか。その肌感覚の指導をされた子どもはもっと肌感覚の指導を次の世代にすると思うんですよ。今そのループに入ってしまっていると思うんですよ。僕ら世代40代くらいの世代はちょっと言い方が悪いですけど、ろくに勉強していないできちゃった人はめちゃくちゃ肌感覚で教わったことだじけで大した量も教わってないのにそれをそのまま子どもに教えるから、その子どもが大人になった時にそれをまた子どもに教えるという謎の負のループがあるということを抑えておかなくちゃいけないんですよね。だからそれをもうちょっとしっかりと理屈で、僕はあまり英才教育という言葉は好きじゃないですけれども、こういう大人になることが必要だ、そして自分は馬鹿でなんにもわかんないから人に預けるとや人に任せるということは絶対に必要で、僕ももし子どもが生まれたら、僕のできる範囲と絶対的にできない範囲があるわけですよ。親が勉強を教えるのではなくて、勉強が本当に得意な人が教えればいいわけですよ。僕は見ないし実際に見れない。もし見たら子どもがバカになるだけだから。だったらちゃんとした人に任せればいい。想像力は見守るっていう立ち位置と、人としてはこういう資質がないといけない、こういうふうにならないといけないということはちゃんと教えてあげないといけないので。だから想像力ではなくて教えるという学習は必要だと思うんですよね。想像力は伸ばすのと人を育てる教育は全く別なのでそこをちゃんとしていくという二極しているところをしっかりとしてあげたいたいなと思います。

孫の世代へバトンをつなぐ。

Q今、短いスパンのゆめを聞いて行ったのですが、次は長いスパンについてのお話を聞かせてください。100年後からのありがとうというのはどう言ったことでしょうか。

僕のおばあちゃんが次で101歳になるんですね。101歳にもなると戦前じゃないですか生きてきたのが。20代手前くらいなのかな戦時中というのが。バリバリ清貧時代というのがあって、それを生き抜いてきた人じゃないですか。で色々考えてきたときに、あの時代に生きてきた人達がこんな日本を子や孫の代に残したくないと、絶対にこんな戦争ばかりの時代を残しちゃいけないと思って必死にもがいて生きて日本を復興させるぞとしてきてそのバトンが僕らの父の団塊の世代に渡された。国の幸せと個人の幸せが一緒だった時代をずっと突き進んできて、バトンが今の50代くらいの人たちに渡された。70以降の人たちは引退して50代くらいが日本を牛耳ってる。僕はその代の人たちは逃げ切り世代だと思っていてなんとなく国の首相や議員を見ていて感じてしまうのが、何となく自分の任期さえ全うできればいいかなという。何となく逃げ切り世代だと感じてしまう。日本が傾いているかもしれないけれども自分たちは何とかなるだろうと考えている。でも、次に渡される俺らは完全に傾いた時代を渡される。で、傾いた時代を渡されてどうなるかというと次は、見てみぬ世代になるんですよ。見て見ぬ振り世代が最悪の結果を次の子ども達に渡すことになる。そして自分たちに何ができるかと考えてもう一回100年前に戻ったときに、僕らが生きている1億2千人っていわばサバイバーじゃないですか。要するに戦時中を生き抜いた人たちの子孫なんですね。多くの人が命を絶たれて誕生したかったけれども誕生できなかった人たちがいるわけですよね。戦争で。でもうちのばあちゃんとかその戦争を生き抜いてきた子孫はサバイバーなんですよ。言ってもDNAもたったの3世代ですよ。これが10世代なら変わっててもおかしくは無いけれども。たかが3世代ですよ。それが何をあぐらをかいとんねん。生き抜いてきた子孫だということを忘れるなと。コロナという大戦争時代をどう生きるか。完全に戦時中なんですよ僕らは。あのサバイバー達が残したのと同じ思いで次の世代にこれは残しちゃいけないよと思わなくちゃいけない。戦時中だと思えと!そう能天気な人たちいるじゃ無いですか。僕らが残して貰ったこの国を同じようにもっとより良いものを残してあげなくちゃいけない。特に少子高齢化になっていて少子化の解決策というと移民を受け入れるしか無いわけですよね。実際に日本は移民大国でね。世界第4位なんですよ。世界の第4位で移民がたくさんいるってことは何が起こるかっていると実は移民の大きな問題っていうのはイギリスとかフランスでも起きているけど、ビザがなくなって不法滞在も増えるけれでどもそれ以上に大きな問題がある。それは僕らは法律というルールにのっとって人を殺しちゃいけないだの何だのっていう判断をされてるけれども、宗教は法よりも上にある。宗教が許せばOK。だから法でいくら取り締まっても宗教が許せば自爆テロも起こるし、戦争もできるし、宗教というものがものすごい上にある国が増えた場合、僕らの息子とか娘とか孫世代が平気で外を歩けない時代が来る可能性があるわけですよ。でもそれは容易に想像がつくことなんですよ。でも今僕らの上の世代や僕らの世代は自分さえ良ければいいと思ってるからそんなこと想像もしないんですよ。だからいくらお金を残しても国が、社会が酷くなったらそんなもん意味なくなって狙われるだけじゃ無いですか。で、最悪の状態になることがあるので、それを防ぐための言葉として「100年後からのありがとう」がある。なぜなら俺はばあちゃんにありがとうって言いたい。こんな国を、平和な国を残してくれてありがとうと。そして、生き抜いてくれた。だから俺らも戦時中だから同じように100年後からのありがとうをもらわなきゃいけない。というか貰うためにやるわけでは無いけどそういう国を残さないと自分のひ孫の代とかが最悪な状況になる。というのを考えて一つのキャッチフレーズとして100年後からのありがとうという言葉がある。でもまず何をしたらいいかというと、今を徹底的にしっかりと生き抜くということを忘れちゃいけない。2年後、3年後のことを考え想像することも大事だけれど100年後からのありがとうを貰うためには今この瞬間をベストを尽くさないと何も実現できない。本当に今戦時中だから。本当に今この瞬間にベストを尽くすために何をするかというのをそれぞれが考え抜かないといけない。そういうDNAを残していかないといけない。これがまだ具体的な案があるわけでは無いけどそういうところからきている。

今この瞬間を生き抜くことを繰り返す

Q今安彦さんの話を聞いていて今だけを頑張るということと今この瞬間を頑張るということは明確な違いがあるように感じました。具体的にはどういった違いを意識されていらっしゃるのですか。

「今だけ」を頑張るというのは目の前のことだけを楽しむということです。ただ単に今だけを生きている。でも「今この瞬間」を頑張るというのは、練習も本番もないという考えに基づいた結果なので。練習ちょっとやってから本番に挑もうとかそういうスパンの話じゃない。今この瞬間にベストを尽くせるかどうかでそれが練習だろうが試合だろうが関係ないんですよね。だから今を頑張るというのはそれが練習だとしても試合だとしてもその定義が、「次がある」というものになる。今この瞬間を頑張るというのは次はない。明日があるなんて誰が決めたんだという話です。今この瞬間を頑張れないやつに明日もクソもないですもんね。そこが大きなポイントかなと。その刹那が積み重なるからこそ未来が作れるわけで、一回だけ頑張っても意味がない。その瞬間瞬間は次々にやってくるんで。それをずっとやり続けられるかどうかが大事。

Q安彦さんにひとつお伺いしたいことがあります。本当にどんな願いも実現するとして安彦さんのこれが叶ったら理想だなというゆめはどのようなものですか。

そうだなーそれはすごく難しくてそれができるなら100年後の未来を見せてくれるのであれば今死ねるかな。100年後がすごくハッピーでいじめとかも亡くなっていて、なんかこう挑戦者がどんどん頑張れる世界で、人の足を引っ張らずに人を馬鹿にしないで周りと助け合いながら日本という国を大事にする人がたくさん増えていく100年後を見せてもらえたらもういいかなという。究極ですよ。

環境を選んで挑戦できる社会を

Q挑戦者が挑戦できるというのはどういった状態ですか?

一番は、簡単に言うとそういう環境に身を置けること。環境を選べるということでもあるかな。今は環境を選べないんで。地元の小学校に行かないといけないとか環境を選ぶことが難しい。それを選べるのが当たり前になってたらいいなと。それと同時に個人の中のマインドに他者の顔色を伺うんじゃなくて自分がこういうふうにしたいということをやる。そしてそういうふうにしているやつを応援しようぜという風潮になるといいなと。率先したもの勝ちみたいな。だから応援する人と応援される人というのがはっきり共存する社会があったらいいな。別にみんなが挑戦しなくてもいい。応援したい人がいてもいい。そういった人も絶対必要なんで。応援する人も賛辞が送られるそういうのがいいかなと思います。

Q応援したい人はしっかりと応援することが幸せだし、挑戦をしたい人はどんどん挑戦していくことができるような世の中というイメージですかね。

そうですね。それが一番いいんじゃないかなと思いますね。そういった世の中になったらいいなと思いますし。そうなったらそうなったでまた違った課題が出てくるのかもしれないですけれども。僕が今この段階で言えるのはそういう社会になったらいいなと。そして一人一人がお金のこともしっかりと勉強することができて、学校じゃ習わないことは家庭で習ったり地域の人から教えて貰ったりしながらもっともっと人との関わりを持てるようになって欲しい。とにかくこのコロナ大戦争時代が何かプラスになって100年後に残されたらいいなっていうところですよね。

挑戦者として生き続ける

Qそこに向けてご自身が挑戦者であり続けていきたいというところですかね。

そうですね。それを見せていかないと口だけでは意味がないので。リアルな声、生の声を届かせていきたいなと。それが元Jリーガーがしゃべるよりも現格闘家がしゃべった方が強いわけで。そういう挑戦者としての声をいかに残せるかでそれが応援する側になってくれたらありがたいし、挑戦する人となっても戦えるわけで、そうやって今ある停滞感や閉塞感のある世の中にパンチを繰り出したいなっていう思いでやっていますね。

Qとても素敵ですね。今お話を聞いていて自分が挑戦していきたいとなったときに誰かが応援してくれるし、自分も誰かを、今回例えば安彦さんですとかそういった方々を応援したいという応援者でもあれば挑戦者でもあるだとかそういうものもどんどんお互いにやっていけるような世の中だったらものすごくいいなと今お話を聞いていてすごく感じましたね。

だから今徹底的に応援している人はいざ自分がやろうとした時に、特にこの世の中だから自分のことで精一杯じゃないですか。だから応援する人が減ると思うんですよ。それでもこんな中で応援してくれている人はいざ自分が挑戦するときや何かを訴えたときにめちゃくちゃ強いパワーを得れると思うんでやっぱり挑戦者はいつか応援者になるし応援者はいつか挑戦者になる。それをお互いで支え合うことで初めて成り立つ環境というかね。そういうものができるような環境に持っていきたいと思います。僕は僕一人が勝てればいいなんて全く思っていないし、僕がリングに立つことはみんなも自分の人生の挑戦者という名のリングに立つということだと思う。僕はわかりやすく四角いリングを用意しますけどみんなは人生のリングがそれなりにあって何か自分がひとつ成し遂げたそんな瞬間になるんじゃないかとそんなふうに思っているのでみんなで支え合うことが僕がリングに立つことだけじゃない。それだけで終わることじゃないステージの幕開けだと僕は思っています。それくらいのつもりでやっていますね。

新たなつながりの形としてのTeam

Q最後の質問なのですが、これからTeamABIKOをどういう風にしていきたいとお考えでしょうか?

めちゃめちゃ理想なのは、僕がある種の社長みたいなもんですよね。逆に社長にお金を払っているんですよ。社員が。もう立て付けを変えたい。世の中の。社長が社員にお金を払うという仕組みから社員が社長にお金を払う。そしてその結果社長がバリバリ動く形になる。動いた結果できるプロジェクトやそれに派生するところから生まれるお金が社員に回るっていう仕組みが作れたら新しい会社の仕組みかなと思います。ふんぞり返って社長がみんな働けよという時代は終わって、社長が「俺はこうやりたいんだよ!」って言うと「いいですねじゃあ支援しますよ!」と社員が動いて、その中で「これが俺のやりたいことなんだ」って社員が気づいてそこで新たなお金が生み出さる。するとそちらで今度は社長になれる可能性がある。なんかそういうふうにサロンが回っていくふうになれば一方通行じゃなくて渡されたお金というか支援で社長がやりたいことを突き進む。しかもなかなか人が開けられない穴を開けてきたぞと。その道あったんかいっていうのはその人じゃなきゃできなかなった、そのチームじゃなかできなかったって言うのをできたら面白いなと思うんです。だからその会社の制度とか社会の仕組みみたいなものの構造を変えたいなと思います。まあそのためには僕が挑戦者であるということが大事ですし、最近言っているセルフブランディングのようなものがサロン内でももっともっとできて、例えば津田さんがこんな未来を描いていますとなったらそのためにはこんなセルフブランディングが必要ですというのがサロンの中で可視化していくことによって本当にそういう未来が見えるようにお手伝いをしたいですね。だからそっちもやりたいと思っているのでそういうふうにサロンがお互いの持っている良さと今できる最大限のサポートを合わせてできたらいいかなと思っています。

Qいいですね。社長自らが実践をする人であり続けるというのはいいなと思いますね。

そう。一番動いているのは社長みたいな。それはもちろん社長がやりたいことなんだけれども、未来のみんなのためでもあるよっていうつもりで動いていければいいなと思うので。

Qやはりお金の呪縛から離れるじゃないですけれども、何か今会社と社員の立場ってお金があるからそこにいるという関係性の人って多いじゃないですか。でもオンラインサロンについては特にTeamABIKOについては全然そうじゃないじゃないですか。むしろ逆に払っている。やっぱりそれでも一緒にいたいと思えるような関係性というものが応援したり応援されたりという中でものすごい大事だなというのは今お話を聞いていて感じます。

サッカー選手や海外にいる選手がやっているサロンが全然うまくいっていないらしいのでオンラインサロンにはそういう立て付けが必要なのかなと思います。著名人がやっているオンラインサロンがうまくいかない理由はファンクラブになってしまっている。この場合はファンクラブではなくてむしろ自分にできないことを穴をあけておいてもらって、そこを俺らも通るよ。俺は穴を開けるからその資金を調達してとか俺が崩れそうになったら後ろで支えてねっていうその立て付けをちゃんと作れば僕はサロンは新しい形の組織になっていくんじゃないかなって思うんです。というかそこまでしていきたいんで。そういう仲間と一緒になって12月31日を目指して行ったときに2000人ですけれどもそれくらいになっていると多分世の中ちょっとかちゃかちゃかちゃと変わり始める。右回りに対しての左回りを作れるような何かができるんじゃないかなと。これをとにかく一つ一つ形にしていきたいなと思います。

Q最高のビジョンですね。なるほど。ワクワクしかないですね。

本当にだから12月31日にRIZINに立てるか。そうでなかったにしろいろんなメディアに取り合えがられたときにオンラインサロンがあるっていうこと取り上げてほしい。例えば今度激レアさんもそうだしまだ全然オファーはないですけれども情熱大陸やプロフェッショナルとか。あれって一人語りが多いんですけれども僕はサロンのメンバーと話している姿をとってほしい。サロンメンバーも可視化してこの人たちがいるからこうなったんですよっていうところを撮ってほしい。それが僕にとっての会社で僕は一人の社長なんです。でも社長はお金をもらっているんですよって。なんかそういうところがもっともっとちゃんと伝わるようになってくるとなんでこの組織は成り立っているんだという組織論の話になってくる。そうすると世の中の変わり目が一つのサロンからクローズアップされるような形になったらいいなと思うので。

Qチームでやっていくのがいいですよね。

そうですね。それこそいろんな組織に所属してて良いわけで。別にうちのチームだけにいなきゃいけないというわけではないので。でもそのチームが発展していってプロジェクトがどんどんどんどん増えていって自分がそのチームのリーダーに立てる可能性も増えていくわけで。何かそういうものを狙いながらそうすると今度は安心してチャレンジャーになれるというか。その間にセルフブランディングというものをしていく。やはりセルフブランディングというのはチャレンジャーにとってのセーフティーネットになると思っているのでそういうのを時間をかけてサロンの中でやっていく。でも今僕が何かを捨てるわけにはいかないのでやることはやりつつベースがある中でプラスアルファになる要素をどんどんとっていく。ググったって何したって出てくる要素は意味がなくサロンの中で出てくるのはググったって出てこないようなオリジナルにアレンジを聴かせれば子供たちに使うこともできるのでそんなのをどんどんどんどん広げていければ良いなと思いますよ。

これからのオンラインサロンの可能性についても最後はお話しいただきました。挑戦者と応援者が輝く社会を目指していきたいですね。最後にオンラインサロンのご案内です。安彦さんが個人ブランディングについてさまざまな視点から発信をしてくれてとても勉強になるオンラインサロンになります。一緒に学んで行きたい方は是非ともメンバーの一員としてRIZINをめざし目指しましょう。

オンラインサロンTeamABIKO

About "限りある人生を丁寧に生きる" 津田

ゆめのちからの発案者として、日々、実践と研鑚に励んでいる。ゆめは「子どもの幸福度を世界一にすること」。丁寧な毎日を送ることを大切にしている。

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